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つるつるつらつら。

ボカロ関係で思ったこととかを主に綴ります。

つい最近やっと「自分の初音ミク」に出会えた私の、これまでとこれからの話。

 はじめに自己紹介

 皆様、はじめまして。広いボカロ界隈のすみっこでまったりボカロ曲を聴いている、海鮮焼きそばと申します。

 妹がとあるトークロイド動画を見ているところを見たことをきっかけに2012年9月ごろにボカロ曲を聴き始め、ちょこちょこしか聴いていなかった状態から本格的にのめりこんでより深くボカロとかかわり曲を漁っていこうと思うようになったのが2014年2月。投稿されたばかりの「ウミユリ海底譚」を聴いたのがきっかけでした。それからUTAUの滲音かこいちゃんに出会って一目ぼれしたり、ボカロリスナーの方たちとtwitterで知り合って交流するようになったりして今に至ります。

 ボカロはもはや生活の一部です。ロック、エレクトロニカチップチューンなどが特に好きですがいろいろ聞きます。あとたまにもの書きしてます。自分の好きなものを表現するのは楽しいです。簡単なものではありますが自己紹介でした。

よりわかりやすい自己紹介になるかもしれないものは、こちらからどうぞ。

www.nicovideo.jp

 

罪悪感の塊

  そんな私は、ついこの間まで初音ミクを愛していないと思っていました。

 ボーカロイドの象徴的存在として、日本のみならず世界を飛び回る歌姫として、すごい存在だとは思う。かわいいとも、いい声だとも思う。でもそれは好意じゃない。とても、遠い感情。――そういう風にとらえていました。

 twitterで交流させて頂いているボカロリスナーの方々の中には、初音ミクという存在が大好きでたまらない方が大勢いらっしゃって。そういった方々の熱い愛に触れるたび、初音ミクが好きでない自分の事が情けなく思えて。今年の初音ミク生誕祭前夜には、初音ミクの誕生日に向けて盛り上がるボカロリスナーさんたちのつぶやきを見ているうちに、彼女の誕生日を心から祝えない、それをできるほどの愛がない自分に気が付いて果てしなく気が沈んだりもしました。ボーカロイドの象徴とも呼べるミクさんの誕生日を心から祝えないのなら、自分はボカロリスナーである資格がないのでは、とさえ思ったのです。ミクさんだけがボーカロイドではないし、偉大な存在の一人でしかないのに。偉大だと思うことと、その存在を愛することは関係ないのに。

 それくらい、初音ミクは私の中で偉大な存在で。そんなミクさんを愛せないのは、彼女にとっても彼女を愛する方々にとっても失礼なことであると、少し前までの私は真剣にそう思っていました。早く「自分の初音ミク」を、「ボカロリスナーとして初音ミクに抱くべき適切な感情(そんなもの、どこにもないのにね)」を見つけたくて仕方がなかった。

 

乗り越えるべき課題だったはずの曲たち

 ここで話が前後しますが、ご了承ください。

 先述の通り、私がボカロ曲を聴き始めたのは4年ほど前。本格的にのめりこみ始めたのは2年半近く前。ボカロシーン全体から見ればかなり短いです。その上2011年以前の曲はミリオン曲でも未聴のものが多いほど聴けていないです。「今」しか追えていない。初音ミクをはじめとしたボーカロイドや、ボカロシーンがどういう変遷をたどってきたのか、てんで無知というわけで。それにともなって起きたはずの、それぞれの方の気持ちの動きや感想も同様に分からなくて。

 ボカロシーンや初音ミクについて上記のような思いとか認識などを抱いていた私は、自分の中でうまく呑み込むことに失敗し、自分の中で乗り越えるべき課題となった3つの曲にこの夏以降出会いました。

罪の名前

【初音ミク】 罪の名前 by ryo VOCALOID/動画 - ニコニコ動画

 ボカロを、初音ミクを語る上で外せない偉大なボカロP、ryoさん。あの方が約8年ぶりにニコ動に投稿した曲がこの曲、罪の名前です。突然の帰還に、私のtwitterのタイムラインはこれでもかというくらい沸き立ちました。あの曲を聴いて感動している方が大勢おられました。

 ですが私には、いい曲だなあ以上の感情が起こりませんでした。nicoboxのプレイリストには入れるだろうけど、それくらい。そんな印象しかなかったのです。それはきっと、ニコ動にryoさんがいた時代をこの目で見ていなかったから。さらには、その当時の曲を聴いたりその当時の話に触れたりしようとしてこなかったから。そう判断しました。

 他の人と一緒になってこの喜びと曲の良さを分かち合いたかった。だからもっと過去のボカロに向き合っていればよかった。そう思いました。

 この曲を聴くのがどこか後ろめたくて、そしてうまく受け入れられないから逃げたくて、投稿日を除いてずっと聞かないまま昨日まで放置してしまっていました。

初音ミクは死ぬことにした

初音ミクは死ぬことにした/初音ミク by しじま VOCALOID/動画 - ニコニコ動画

 ミク誕前日に投稿された曲。投稿者のしじまさんは私のフォロワーさんの中にも好きな方が多くて、私も好きな曲がいくつかある、叫ぶような調声が印象的な耳に残る曲を作られる方。投稿日の前日にタイトルと共に投稿予告がなされたときは、私も交流させて頂いているボカロリスナーさんたちもそろって同じ印象を受けていました。「ヤバそう」と。このタイトルとそこから考えられうるテーマ、そして投稿者が強烈な曲を作られるしじまさんであること。私は期待に胸を膨らませていました。

 ですが、公開されたこの曲を聴いた私の感想はまたもや「いい曲だなあ」でした。歌詞に描かれているテーマも、ミクさんの悲痛な叫びも何もかもが自分を素通りしていくかのようで。漠然とした「いい曲だなあ」だけしか残らなかったのです。それはきっと、私が「自分の初音ミク」を持っていないからで。持っていないなら、この曲の初音ミクの叫びが「自分の初音ミク像」を崩しに来ることもないわけで。この曲には、それをできるだけのエネルギーがあるはずなんです。

この曲も、投稿日以降はつい昨日まで聴かずじまいでした。

ミクがネギを背負ってやって来る

ミクがネギを背負ってやって来る by にとぱん VOCALOID/動画 - ニコニコ動画

 ミク誕に合わせて投稿された動画。古今東西のパロディ満載なお祭り動画で楽しく聴いたのですが、投稿に合わせて書かれたブロマガ(現在削除済のようです)には、投稿者のにとぱんさんがこの動画を投稿するうえで込めた思いや、作成と投稿に至った動機について記されていました。

 私としてはどうにも賛同できない部分の多い内容でしたが、ボーカロイドという文化を黎明期から眺めていたいわゆる古参と呼ばれる方には刺さる内容だったとのことです。そしてその内容を踏まえて聴き直してみると、確かに風刺と思われる歌詞表現があることに気づきました。でも、それだけです。強めの言い方がされていたブロマガから察するに、相当の皮肉を込めて書かれた歌詞であるはずなのに、風刺であるということしか感じられない。これも、ボカロシーンにどっぷり浸かってから日が浅いから、そして過去への理解が足りないから。そう判断しました。

 投稿されてから一週間ほど経ってからは聞かないままになっていました。

 

課題なんてなかった

 いい曲とは思えど、自分の中で斟酌できないままになっていたこの三曲。聴かないままになっていたことを恥じ、向き合って乗り越えなければと強く思いましたが、そうすることが怖くて放置したまま2~3ヶ月が過ぎていきました。その間に、「私にとっての初音ミク」とはボーカロイドの象徴とも呼べるかわいい女の子であると自然に思えるようになった気がしたので、ある程度自分も考えがいいほうに変わったかななどと感じていました。その間に黎明期の文化や想いにも多少ではありますが触れたこともあって。今から考えれば、そう自分を思い込ませたかっただけで、納得も成長も何もできていなかったのですけどね。

 ちょっとしたきっかけから、再び先述の3曲を聴き直そうと思い実行に移したのはおととい(11/1)のことです。なぜだかリラックスした気分だったうえに、聴いていない間に多少はボカロシーンや初音ミクと真摯に向き合えるようになった気が愚かにもしていたので、今ならこの曲たちをうまく受け止めて理解し、「初音ミク」や「ボカロシーン」について自分なりの回答を求めるうえで大きな一歩にできるだろうと、壁を乗り越えてボカロリスナーとして成長できるだろうと、そんな気分でいました。馬鹿者で愚か者ですね。おごりにも程があるというのに。

 

 そう期待して、いざ三曲をもう一度聴いてみたのですが、どの曲を聴いても何にも感じなかったのです。それぞれの曲に抱いていた違和感や抵抗感は消えたけど、その代わり答えや収穫など一つとして見つからなかった。すべてが自分の心を素通りしていくような。

 いい曲だ、それだけなんです。込められているであろうメッセージも何もかも、意味は理解できるし嫌悪感もないけど、自分の中からそれを受けた意見は出てこない。

 虚無と失望でいっぱいになりました。自分はあれから何にも変わっていなかったのか、と。あんなに期待していたのに、と。抵抗感がなくなったのも、何かしら考えが変わったからという進歩ではなく、ただ単に耳が慣れただけなのではないかとしか思えなかった。

 

 それから数時間落ち込み続けていましたが、前触れなくある考えが浮かんできて。自分があの三曲をうまく消化できていないと思っていたのも、さっき自分が再び聴き直して何にも得られなかったと感じたのも、期待のし過ぎと強迫観念にも近い過剰な思い込みからではないかという、それまで思いもしなかった考えが。

 罪の名前は、ryoさんの8年ぶりの投稿という大きな喜ばしい出来事と、それに沸くリスナーさんたちを見て、『自分もあの人たちと同じように喜ばなければならない。だってとても衝撃的で嬉しい事なのだから。そして、皆さんがあの喜び方なのだから自分も曲を聴いて感動しなければならない』と思ったから。

 初音ミクは死ぬことにしたは、『あのタイトルでしじまさんの曲なら、その上周りのボカロリスナーさんもとても期待しているなら、さぞいい曲に違いない』と思ったから。

 ミクがネギを背負ってやって来るは、『あのブロマガの熱量なら、曲に込められているメッセージも強くて自分を射抜くものに違いない。そして、自分と意見が違うからこそ理解し尊重しなければいけない』と。

 数時間前の失望については言わずもがな。『ボカロリスナーとして多少は成長したはずの、ボカロシーンや初音ミクと以前よりは面と向かえるようになったはずの自分なら、聴き直すことで新たな受け止め方やブレイクスルーが得られるはずだ』と。それどころか、以前より前進した自分が過去に残した壁と向き合ってそれを乗り越え、大きく成長するというシンデレラストーリーを思い浮かべさえしていました。自分に酔うなって話です。

  

 結局のところ全部、人が感動しているなら自分もそう感じなければならないという同調性や思い込みと、身勝手な期待の産物だったのです。そして、乗り越えるべき課題や壁なんて初めからなかったのです。いい曲だなあと感じた、それだけでよかったんです。それ以上の何かを求めようとしたからおかしなことになった。

 答えなら最初から自分の中で出ていた。それに気づけたなら、あとはその答えをもう一度見つめ直すだけでよかったんです。簡単な話だった。

 

 それに気づいた瞬間、私の眼には初音ミクが見えました。手のひらサイズで、妖精の羽を付けていて、はるか遠くの上空からこちらを見つめて笑っていました。自分が頭を動かして別の方向を向けば、ミクさんもついてきます。常に視界の中にミクさんがいた。たった数秒で消えてしまいましたが、私はこの時初めて、確かに「自分の初音ミク」を見ました。当然幻なわけですが、それでも。

 距離は遠いけど、常にお互いがお互いを見つめていて、かつ笑っている。それが、私と初音ミクの関係です。そしてこのとき初めて、本当に自然に「ボーカロイドの象徴とも呼べる存在で、日本のみならず世界を駆け巡る歌姫で、かわいい女の子」だと思えました。

 私はきっと、この時真にブレイクスルーを果たせたのでしょう。余計な思いを全部そぎ落としたから、ミクさんは姿を現してくれた。

 

おわりに

 誰かと比べて悩む必要などなかったのです。私のミクさんへの思いも、立派に一つの愛情なのだと今は思えます。今までのミクさんやボカロシーンを深く知らないということも、これから少しずつ学んで、知っていけばいい話です。少しずつでいい、焦る必要なんてないのです。身勝手な期待をせず、周りの意見に過度に振り回されず、自分の目や耳で得たものを中心に据えて、周りの意見や考えでいいと思ったものは取り入れてみる。それがいいのではないかと今回の事を通して思いました。

 これからは、この考えで進んでいきます。今までは過度に自虐や遠慮に走ることも多かったのですが、これからは減らしていかなければと思いますし、それが可能な気もしています。

 やりたい気持ちはあったけどあまりにも苦手で、周りのボカロの絵を描いておられる方と比べてしまい今まで手を付けていなかった、「ボカロ関係の絵を描くこと」を始めていきたいとも考えています。曲を聴いて感想を言うこと以外に、何かボカロ文化に貢献してみたいと思ったから。貢献することにうまい下手は関係ないと思えるようになった今だから決意できたこと。

 これからも幾度となくつまずくことはあるでしょうけど、やっと見つけた「自分のミクさん」と一緒なら、前を向いて進める気がします。

 

 そしてこの「おわりに」の一段落目で述べたことはボカロに限ったことではありませんし、一般論として様々なシチュエーションで言えることのような気がしています。この記事を読んで頂けた方に、もし何か感じることがありましたら幸いでございます。どうか、「自分の○○」を大切にしてあげてくださいね。「他人の○○」も同様にです。私もそうやって生きていかなければ。

 

 未熟者の私から言っていいことなのか不安があるのですが、最後に一言。

 

 皆さん、よきボカロライフを。よき人生を。

 

 自分の事について、自分が思ったことをバーッと吐き出しただけの文ですが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

【追記】

 想像していたよりも遥かに多くの方に読んでいただけて、嬉しい限りです。この記事に関してつぶやいておられた方々のご意見・ご感想を受けて思ったことを少し。

 「周りの視聴者さん方などを気にしすぎているのではないか。もっと気楽にいけばいいなと思う」といったご趣旨のツイート。あるいは、「難しく考えなくていい。広く深くなった初音ミクを全部理解するなんて、どんな古参やミク廃にもできやしないんだから、歴史なんて知らなくていい。自分の目に映ったミクさんを愛してあげて」というご趣旨のツイート。などなど、他にもそのようなご趣旨のつぶやきが。それらのお言葉を一言でまとめれば、「気楽にいこう、ありのまま思ったことだけで十分だから」。

 私はまだまだ、己を自らの手で縛りつけたものから解放されきってなどいないのだ。ボカロの歴史や初音ミクをすべて理解するなんて到底無理だし、その必要もないのだ。自分の目で見たものを大事に。そう気づかされました。

 「~しなければ」が、他にも自分の中にいっぱいあった。自らを強制しすぎてはいけなかった。自らに課したことが間違っていれば、自分では気づけないままどんどんおかしなほうへ走ってしまうから。そのことを自覚できました。

 感想をつぶやいておられた全ての方々に感謝いたします。

 

 ほかにも心を打たれたツイートがあります。「ミクさんをキリスト的な神様と思うより、八百万の神の一人と思ったほうがいいと思う。神格化したものについていくのではなく、君も僕もなんだか知らないけど存在していて、こういう点では手を取り合うとうまくいくんじゃない?という程度の話だと思う。『君』が人間じゃないとしても」というご趣旨のツイート。

 『「自分のミクさん」に従って、ずっと一緒についていきます』ではなく、偉大な存在ではあるけど自分とはそこまで意見が合わない。でもいいと思ったところは大切に。これはほかの偉大な存在に対しても一緒』。つまりその存在だけを、自分が従い模範にする、自分の世界の全てだと思ってはいけない。そういうお話なんじゃないかと、そのツイートを読んで感じました。私は、時間をかけて見つけた「自分のミクさん」に縛られるところだったというわけです。

 「自分のミクさん」は自分自身じゃない。ついたり離れたり、そんな関係。それを忘れないようにします。

 

 自分だけでは見えないものが沢山ある。この記事へのご感想によって、それを改めて認識することができました。本当に、皆様ありがとうございます。