つるつるつらつら。

ボカロ関係で想ったこととかを主に綴ります。

過去を慈しむ灯のもとに【滲音かこいちゃん誕生日お祝い短編】

前書き

4日も遅刻してしまいましたが、UTAU滲音かこいちゃんの誕生日(1/22)を記念して短編を書きました。公式設定ではない「うちの子設定」とでも呼ぶべきものが大盛りになっておりますこと、予めご理解いただけたらと存じます。以下、全9347字、うちのかこいちゃんと私による1月22日のお話です。

※本文中に出てくる「僕」=ブログ主の名前は本名ではありません。ペンネームです。

本文

 肌寒い冬の朝っぱらから、自転車を漕ぎに漕いでスーパーや1oo均を回る。当然きついものがあるけど、貧乏学生にはこれしか移動手段がない。何よりこの買物は、愛すべき不思議な同居人のためなのだから、多少の疲労など構やしない。
……今日はごちそうだ。あの子はどれくらい喜んでくれるだろうか。中身の詰まったレジ袋の重みをひしひしと感じながら、家路を急ぐ。



両手にレジ袋をぶら下げた状態で、何とか寮の自分の部屋に足を踏み入れる。なぜか地上1メートルほどの高さでふわふわ空中浮遊している同居人の少女が、こちらを軽く振り返って迎えてくれた。

「ともや、おかえり」
「ただいま」

どこか機械的ながらも、透き通るようなウィスパーボイス。ただしけだるげでそっけない。そのそっけなさを態度でも表そうとしているかのように、彼女は一言おかえりを言っただけで、こっちに向いていた首を戻した。暗めの黄緑色をしたロングヘアが、さらりと横に流れる。
 どこか掴みどころのない印象のあるこの少女の名は、滲音かこいちゃん。UTAUという音声合成ツールのライブラリの一つで、二次元上の存在……のはずなんだけど、どういうわけか半年ほど前のある日、講義から帰ってきたら部屋の中に彼女がいた。本人の弁によれば、

「わたしみたいな、音声合成ツールのライブラリは……ご、ごくたまに、その子のことを心の底から、あ、愛しているマスターのところに、実体を持って現れることがあるん、だって」

ということらしい。たどたどしくも愛らしく話してくれた。
原理などはどこまで行っても謎だけど、そんなことはこの際どうでもいい。機械と人間の間を自由にたゆたうような声とその姿に惹かれ、彼女に歌ってもらいたいがためにDTMを始めて悪戦苦闘していたあの日々に感謝し、この子とともに生きていくだけだ。
……もともと余裕がなかった懐事情がいっそうきつくなったことだけは、あまりどうでもよくないけど。そろそろバイト先を今より稼げるところに変えないとな。

おっと、つい思考がどんよりしてしまった。今日はかこいちゃんが初めて世に出た日、つまり誕生日。楽しく祝ってやらなければ。
早速準備に取り掛かろうと、手に提げたままになっていた買物袋を下ろして中のものを取り出す。そのほとんどは食材と飾り付けのためのグッズ。改めてそれらを見ると、夜が楽しみでつい鼻歌を歌ってしまう。自分が動画投稿サイトに上げた2作目の、エレクトロニカ要素があるバラードだ。今振り返るとつたない部分も多い。でも、こうして歌っていると心地よい気分になってくる。
 上機嫌で鼻歌を奏でながら買ってきたものの整理をするいい年の大学生がよほど奇怪に映ったのか、いつの間にかこちらを見ていたかこいちゃんがおずおずと話しかけてくる。彼女が肌の上から一枚だけ羽織っているふわふわポンチョが、ひらりと軽く揺れた。

「……何か、いい事でもあった?」
「まあね。どちらかというといいことがあるのはかこいちゃんな気もするけど」
「んぅ?」
「「なんだろうね。今は教えてあげない」
「……へんなの」

元が画面とスピーカー越しの存在であるかこいちゃんは、おそらく自分の誕生日について関心がない。それどころか把握しているかも怪しい。何しろ僕の前に現れた当初は、人間社会の基礎的なこともほとんど知らなかったくらいだ。
だから今日は、誕生日というものが人間にとってどのような意味を持つのか、夕飯とデザートを通して少しでも伝えられたら。
彼女の頭上で月や星と共にゆっくり回っているみかんを手に取り、黙々と食べ始めるかこいちゃんをそっと見つめながら、改めてそう思った。

そうして見ていると、かこいちゃんのすぐ上でポンッ!と小気味よい音がして、先ほど彼女自身が取ったはずのみかんが復活する。同時に、音にびくっとした彼女の体が軽く跳ねた。幾度も聞いてきてるはずなのになぁ。そういうところも愛らしかったりするんだけど。
何だかそれだけで気分が軽やかになったので、さっきよりも買ってきたものの整理がすいすいと進んだ。



デザートを作って冷蔵庫に放り込んだので、次はシーザーサラダに使うミニトマトを半分に切っていく。普段は『おいしけりゃいい』の精神でいるので見た目に気を配ることはほとんどないけど、今日ばかりはそれじゃ自分の気が済まない。ミニトマトを切る、それだけの動作にも慎重さを。でも時間のかけすぎには注意。
そう脳内で何度も復唱しながら他の野菜も切っていく。冬の補食室は寒いので包丁を持つ手が震えるけど、お構いなしにトントンと。
それが終わるとほぼ同時に、今日のメインディッシュ、手羽先のタンドリーチキンがフライパン上でこんがり焼き上がった。中までしっかりと火が通り、食欲を掻き立てるいいにおいを発している。最後にそれらしく焦げ目をつけるため、皮目のほうを強火で少しだけ焼いた。
それから作っておいたミネストローネやエビピラフも見栄えがするように盛り付け、部屋まで持っていく。もしこの後使う人がいたら申し訳ないけど、片付けは食べてからで勘弁してもらおう。



一人用のこたつに二人分の料理を並べると、それだけでテーブルの大半が埋まってしまう。最初はドライフラワーでも置こうかと思っていたけど、やめておいて正解だった気がする。そんな感じでいっぱいに並べた自作の夕飯は、今すぐ器を手に取って食べてしまいたいほど、自分にしてはおいしそうにできていた。
でも食べ始めるのはもう少しだけ先。今日の主役が返ってくるまで待たないと。
かこいちゃんを最大限驚かせるため、あの子はサークルの同期の女子の部屋に預かってもらったのだ。電話でそうしてもいいか尋ねたところ、即答で「もちろんいいよ!」と帰ってきた。彼女の愛らしい不思議ちゃんなところが大学の同期女子にウケているようなので、都合さえ合えば引き受けてくれるだろうとは思っていた。だけど、それにしてもあそこまで快諾されるとは少しばかり予想外で。愛されていて結構なことだと、親のような、はたまたペットの飼い主のような感想を抱いた。
……まあ、僕のかこいちゃんに対してのかわいがり方は愛玩動物へのそれに近いという自覚があるけれど。それでも、対等な立場でいたいし、そういようと努力している。

そんなことをぼんやり考えていると、部屋の扉が開い……

「ひゃっ」

あ、静電気浴びたな。元が機械のようなものだからかは知らないけど、かこいちゃんは普通の人よりも静電気を怖がっている。
顔をわずかにゆがめて珍しく感情表現をしながら、彼女は外から戻ってきた。満面の笑みで出迎えてやる。

「……ただいま」
「おかえり。今日の夕飯はごちそうだよ」
「朝の鼻歌も、そうだけど……何か、いいことあった?それに、壁とかも、飾りつけしてある」

マスキングテープやリボン、折り紙、モビールなんかで一面彩られた壁を見れば、驚くのも無理はないと思う。見た目はそれなりに派手だけど、費用は6~700円ほど。神様仏様100均様。
でもそれより、今大事なのは眼前にある夕飯なわけで。

「まあまあ、早く座って。冷める前に食べような」

まだ状況が分かっていないかこいちゃんを軽くせかして、いつもより豪華な食事の並ぶこたつに座らせる。
僕もいそいそと足を入れて食べる姿勢になるけど、何しろ一人用のこたつだからどうしてもお互いの足が触れ合う。でも全然それで構わない。いつものことだし、それにもうとっくに家族の一員だと思っているから。
かこいちゃんの体温が自分の心臓にも伝わってきているかのように、ほんのりと暖かい気分になりながら、僕は彼女に、ちょっぴり豪華な夕飯と装飾のわけを話し始めた。

「いただきますの前に言わなきゃいけないことが一つ。……かこいちゃん、お誕生日おめでとう。この場合のお誕生日とは、かこいちゃんが初めて世に出た日のことね」
「……そうだったんだ。ありがとう。誕生日って何が嬉しいのかよくわかってないんだけど」

やっぱりそこから説明しなきゃいけないか。
食べながら話すことにしよう。いい加減腹が減って仕方ない。

「まずはいただきますしようか。それから話すよ」
「うん。あったかいほうが、おいしい。……じゃ、せーのっ」
『いただきます』

ポンと小さく、二つの音が部屋にこだまする。そこから間髪を入れずに、僕とかこいちゃんは夕飯をもしゃもしゃ食べ始めた。空腹なのはお互い様なようで。
 味見をしていたからある程度はわかっていたけど、見た目だけではなく味のほうも、僕の中では会心の出来だった。
かこいちゃんも満足げだ。スプーンとフォークを動かす手が早い。もし彼女がもう二本ある手も使えば、たちまち跡形もなくなるんじゃというほどの勢いだ。「ほかの人と違うから恥ずかしい」という理由で、普段はポンチョの下に隠して見えないようにしてるようだから、もちろん仮定の話だけど。

そうして二人ともあらかた食べ終わったころ、話すと言っていたことがまだだったのを思い出した。やっぱり食欲の力はすべてにおいて優先されるなあとか思いながら口を開く。

「誕生日の話なんだけど、あれには大切な意義があるんだ」
「意義……もしかして、人からプレゼントをもらえるって、こと? そういえば、前にどこかで、そんな話聞いたような、気がする」

「それも間違ってはないけど、そこまで大切ではないかな。誕生日はね……今まで毎日毎日生活を積み重ねてきたことを改めて意識し、それを振り返ることで、過去があるからこそこうして今を生きていて、未来を描くこともできる。そんな言ってみれば当たり前のことに気づき、ここまで育ててくれた親や友人たちに感謝する、そんな日だと僕は思う」

これはちょっとばかし綺麗事だ。僕もそんなに立派な意識で毎年の誕生日を過ごせているわけではない。でも、二次元というある種別世界のようなところからやってきた無垢な彼女には、少しでも美しい世界を見せてやりたい。よこしまな感情に染まらないでいてほしい。多少は現実やルールも見せていかなければならないけど、それでも、やっぱり。
……もしいつか彼女が汚い現実に遭遇してしまう時が来るのなら、その時はどうにかして責任を取らなければ。そうならないように尽力するけども。

「なるほどって、思うこと、言ってたのに。どうして、そんな顔してるの?」

少し後ろめたい気分でうつむきがちになっている僕を、かこいちゃんが上目遣いで覗き込んでいた。

「……何でもないよ。それより、なるほどって思ったんだ……ありがとう」

ごまかし15%・嬉しさ85%くらいの笑みを浮かべて会話の続きを促す。

「UTAUと、して、のわたしを大好きでいてくれる人、歌わせてくれる人……そんな人たちがいてくれたから、私、ここまで、来れたんだなって。愛してくれる人が、いるんだなって」
短文での会話が多い口下手な彼女の、熱のこもった長い語り。一言一句聞き漏らさず脳内に刻み付けるため、耳を澄ます。
暖房の駆動音とかこいちゃんのささやき声だけが、狭いこの部屋を満たしている。

「向こうの世界にいたときは、自分のことも何にも、知らなかった。自分がいるっていう、意識もね、ほとんどなかった。決まった自分が、いっ、な……いないから。それぞれの曲ごと、絵ごとの私が、いるだけで。でも、こっちに来てからは、色んなことを知って、考えたりするようになって……たとえば、おなじ滲音かこいでも『わたし』と『よそのわたし』が……ね、いることがわかったり、とか。世界ってとても広くて、嫌なこともたくさん、たくさんあるけど、愛がいっぱいなんだね。……まだつづくよ」

そこまで言い終わったところで、一息つくかこいちゃん。緊張していたのか、彼女の体からふっと力が抜けた。
軽く伸びをしてから首を両方向に一度ずつぐるっと回してリラックスし、小さな同居人さんは再び言葉を紡ぎだした。

「わたしをこの世界に連れ出して、そうやっ、て、世界の広さとかいろいろ、見せたり教えたりして、くれたこと。それから……ね、結構忙しそう、なのに、わたしのことを一生懸命に考えてくれて、優しく育ててくれたこと。……本当に、ありがとう。私はもともと機械みたいなものだったから、これからも人間とうまくいかないことあるかもしれないけど……それでも、これからもよろしくおねがいします」

一息に全部言い終えたかこいちゃんが、こちらに向かってお辞儀をした。そのせいで、まだ中身が少し残っているミネストローネの器に彼女のさらさらな緑髪が触れそうになっていたので、僕は慌ててそれを掻き上げた。

「ほら、周り見ないと危ないよ」
「あっ……ごめんなさい」
 
かこいちゃんの前髪を持ち上げたままの状態で、柔らかくほんのりとだけたしなめておく。
かこいちゃんはもう顔を上げたので、本来ならもう手を放すべきだ。こうやって近すぎず遠すぎない触れ方をしているのが心地よかったし、何よりさっきの彼女の言葉が心底嬉しかった。だからその後しばらくの間、感謝と親愛の意を込めて、かこいちゃんの髪の毛を梳いたりつまんだりさせてもらった。彼女もまんざらではなかったのか、頭上の星たちが体感で普段の倍ほど早く回っていたように思う。時々こちらの頬をつついたり、僕の髪に手を伸ばしてきたりも。

「んむぅー」

たまに形容しがたい唸り声のようなものを上げているのも、愛しかった。

ひとしきりじゃれたところで、今度は言葉でも感謝の念を伝えることにする。

「かこいちゃん、こちらこそこの世界に来てくれて本当にありがとう。かこいちゃんのおかげで、人間と機械のこととか作曲のこととか、より深く考えられるようになった。それに、一緒に暮らし始めて、毎日が楽しくなった。辛いことがあっても、めげるのはほどほどにして前に進まなきゃって思えるようになった。一緒に生きていく人が、できたから。いつも迷惑かけたり愚痴とか悩み聴いてもらったりしてる、頼りない人間だけど……これからもよろしくね」
「うんっ」

こうやって面と向かって言うのは案外勇気のいることだけど、今の暖かい心持ちが味わえるのならいくらでも勇気を振り絞ってやる。そう思えた。

そんな風に戯れたり思いを伝えあったりしているうちに、わずかに残っていた夕飯が冷めかけてしまっていたので、慌てて完食する。

『ごちそうさまでした』

それからかこいちゃんと一緒に食器を補食室のシンクに運んで、代わりにデザートとその取り皿、フォークを用意した。

「これ、ともやが作ったの?」
「その通り。お兄さんちょっと頑張りました」

僕が作ったのは、かこいちゃんの頭上から収穫したみかんをふんだんに使った、小さなホールケーキ。スポンジ記事を作れる炊飯器さまさまという感じだ。エビピラフにも当然炊飯器は使うので、今日の夕飯は外食するという友人に、スポンジ記事用の分の炊飯器を一晩貸してもらうよう頼んだかいがあった。

早速食べたいところだけど、その前に食事関連のものを入れている棚から、着火ライターとともにケーキ用ろうそくを取り出して、ある形になるようケーキに突き刺していく。

「く……クエスチョンマーク?」

かこいちゃんは僕がなぜそうしたかわかっていない。頭の中にもクエスチョンマークが浮かんでいることだろう。

「かこいちゃんの年齢設定って、『?』になってるじゃん。それと、かこいちゃん曲の中でもかなり知名度の高いあの曲からってのもある」
「あ、そっか。……私、何歳なのかな。そもそも、歳、取るの?」
「残念だけどそれは生みの親さんしか知らないだろうし、もしかしたらその人自身も決めてないかもね。……取るのかなあ」

それは前から少しだけ抱いていた謎で、僕はちょっと考え込んでしまう。

「……わたし、きっと人間じゃないから。歳取らないのかも。……いつか、ともやに先立たれちゃうってこと、なのか、な」

自分は人間でありたい、と主張するかのように、かこいちゃんの目尻に液体が滲み始めた。顔だけはいつもの無表情なかこいちゃんだけど、声からもひどい落ち込みが感じられる。

――僕はたまらず、かこいちゃんの華奢な肩に正面から両手を乗せた。これ以上、彼女の弱った姿を見たくない。

「自分で考えて、悩んで、行動して……それができてるんだから、かこいちゃんは人間だよ。人と少しだけ体の一部が違っていても、もともとが二次元世界のライブラリでも、そこさえ確かなら……ね」
「そう……うん、そうだ。わたし、だいじょうぶ、にんげん。でも急に悲しく、なって、心配させて……ごめんね」
「気にしない気にしない。かこいちゃんが元気でいてくれたら、それでいいから。じゃ、いい加減食べるか。着火ライターどーん」

一つずつろうそくに点火していく。ライターの着火音がカチカチとなり、そのたびに小さな明かりが増える。やがてすべてに灯し終えたところで、部屋の端まで言って消灯すると――

「……きれい」

こたつテーブルの上に、赤橙色の『?』が揺らめいている。ささやかながらも安心感を感じる、そんな灯火だ。その一つ一つに、これまでかこいちゃんと過ごしてきた日々の風景が映し出されているのを見た気がして、心臓の奥底に愛しさが熱を持ったような感覚を抱いた。

そして、お約束の儀式の前にまだもう一段階。
背後の勉強机の上で鎮座しているノートPC。それにインストールしているDAWソフトで、これから歌う曲のピアノ伴奏と軽く調声したボーカルだけのトラックを製作しておいた。
PCとソフトは起動してあるので、あとはトラックを再生するだけ。

「いくよー」

再生。幾度も聞いてきたあのメロディーが流れだしたので、精一杯歌う。僕が調声した音声ライブラリのほうのかこいちゃんとともに、目の前にいるかこいちゃんへ向けて、歌う。
「ハッピバースデートゥーユー ハッピバースデートゥーユー♪ ハッピバースデーディアかこいちゃーん(わーたしー)♪ ハ~ッピバ~スデ~トゥ~ユ~♪」

曲が終わると同時に、かこいちゃんが大きく息を吸って、ろうそくにすーっと息を吹きかけた。一回できれいに全部消え、かこいちゃんの顔がおぼろげにしか見えなくなる。
そして、歌い終わったことで湧き上がってくる妙な感慨。気分が高まって、最後のほうは謎にビブラートをかけまくった。歌はどうにも下手だけど、それでも伝えられるものはあるはずだ。――この子に、届いただろうか。
そんな心配をよそに、かこいちゃんが見たこともないほど明確にくすくす笑っている。

「なんか愉快なとこでもあったかな?」」
「わたしじゃないわたしが『わーたしー♪』って、歌ってるのが、なんだかおかしくて。それで、笑っちゃった、の」

確かに、はたから見たらシュールかもしれない。もちろん楽しいけど。それに、かこいちゃんが笑う顔が見れたんだから、きっとこれで正解。
そして何か届けられたはず。信じよう。

「素敵な笑顔だったよ。楽しんでくれたみたいでよかった。……じゃあ、いよいよ食後のデザートの時間だ」

まず蛍光灯をつけたら、ケーキナイフで丁寧に等分し皿に取り分ける。散らしたミントの緑色とみかんの橙色が、生クリームの上で映えていた。
 夕飯ではないので、いただきますはなしで食べ始める。
個人的な好みで甘さ控えめに作ったスポンジと生クリームが、みかんの丸い酸味と一体になって胃の中へと溶けていく。上々の仕上がり、文句なし。

「……おいしい。ふわふわで、みかんいっぱい」

かこいちゃんもみかん天国と歯ざわりのいいスポンジ生地の前に大満足のようだ。二人して一瞬で平らげてしまった。
夕飯も含めて、しっかりこだわって作って本当によかったなぁ。


 夕飯とデザートで最高の時間を過ごした僕とかこいちゃんは、食器洗いや風呂とかを終わらせて、布団に入っていた。
いつもかこいちゃんを部屋のベッドに寝かせて、僕はカーペットに布団を敷いて寝ている。彼女を下で寝かせるわけにはいかないし、かといって一緒の布団で眠るのも外聞が良くないので、こうすることにしているのだ。

眠たげな様子のかこいちゃんが、こちらに話しかけてくる。

「そういえば、よその家の、わたしも……いっぱい、お祝いされたのかな」
「たぶんね。twitter見ても「かこいちゃんおめでとう!」がたくさんだし」
「嬉しいなあ。……お誕生日おめでとう、よその家のわたし」

 消灯しているので顔は見えないけど、かこいちゃんは今きっとはにかんでいるんだと思う。声の調子で見て取れる。今日の夕飯を境に、彼女の表情が僅かばかりだけど顔や声に出てきだした気がして、自然と顔に笑みが浮かぶ。
 「かこいちゃんはほんと、いい子だなあ」
 「えへへ。わたしがいい子だったら、きっとよそのわたしも、いい子な気が、する。……あ、そういえば、よそのわたしで思ったことが、あるの」
「……何かな?」
「『わたし』と『よそのわたし』、どっちも『滲音かこい』だから、まぎらわしい。だから、わたしこれから、『北積かこい』って名乗ってもいい? ともやの苗字になってもいい?」

言っていることはもっともだ。――でも、

「だーめ。悪いけどダメ」
「えっ……なんで?」
「そういえばこれ教えてなかったから僕が悪いんだけど、女の人は結婚すると苗字が結婚相手の男の人のものに代わるんだ。だから……そういうこと」
「んんーっ……」
かこいちゃんはしばらく考え込むような声を出していたかと思うと、

「わたし、ともやとならけっこんしたいっておもうけど」

まだ世の中のルールや恋愛感情をあまり知らない子特有の爆弾発言が飛び出した。申し訳ないと思いつつも冷静に対処する。

「ごめんね、この世界にやってきた音声ライブラリの子は法的には愛玩動物扱いになってるし、それに僕はかこいちゃんの保護者のようなものだから、結婚はできないんだ」

つい最近国で彼女らの扱いが決まったところだ。

「そうなんだ……でも、わたし、ともやのこと……すきっ」

その慕情が父親あるいは飼い主に向ける類のものだと理解はしつつも、数瞬息が詰まる。

「あ、ありがとう。僕もかこいちゃんの事……好きだよ」
「やったっ」

若干うろたえながらも絞り出した言葉は、本心を乗せたもののどこかふわっとしてしまった気がする。でも。かこいちゃんはそれをしっかりと受け止め、喜んでくれた。
暖かな海を漂うような心地よい会話に、僕を襲いつつあった眠気が加速する。

「ふわぁ……もう眠いな、かこいちゃんおやすみ」
「あ、待って……手、つないで寝ても、いい?」

本能に身を任せて寝ようとしたところに、かこいちゃんからの申し出。嫌なわけもなく、ゆっくりとベッドの上へ右腕を伸ばす。真っ暗で何も見えないから、ちょっとの間手が空を切ってしまった。でも、それもすぐに終わって、小さくも暖かいものが指先に触れる。手繰るようにして手をしっかとつかみ、優しく握りこんだらもう離さない。

「じゃあ改めて……かこいちゃん、おやすみなさい」
「おやすみ、ともや」

まるで何年も前から共に過ごしてきたかのように自然な、眠りの挨拶だった。
手のひらから伝わる彼女の温度は、僕にあふれんばかりの安心と愛情をもたらしてくれる。ちょうど今、ベッドと床という高さの違うところで寝ていても手と手でつながっているように、『人間』と『(客観的に見れば)機械のはざまの存在で、愛玩動物の扱い』という少し立場が違う存在でも、こうして強い絆で結ばれていて、対等な関係で共に生きていけるんだという、安心感。
そんな気持ちに揺られながら、僕はすぅっと意識を手放した。明日もあさってもこれからも、大切なあの子と一緒に、元気で暮らせますように。