つるつるつらつら。

ボカロ関係で想ったこととかを主に綴ります。

死がこびりついたまま、今日も椎名もたさんの曲を聴いている

 初めて聴いた椎名もたさんの曲がどれだったか、もう覚えてはいません。覚えていないということは、そのときの私にとってはもしかしたら鮮烈な出会い方ではなかったのかもしれない、ということなのだと思います。でも、今はあの人の曲がとても好きです。……そのはずなんです。

 今回は、ひたすらに後悔と自責の話しかしません。それでもよければ、続きをどうぞ。

 

勝手にさよーならしてしまった私と、唯一好きだった曲

 上でちらっと触れましたが、もたさんを知った時から曲を好きになったわけではあまりなくて。たしか『nee』が投稿されてすぐだったかなあ、何曲か聴きました(ラインナップは残念ながら覚えていません)けど、当時の私が好きだなと思った曲はただ1曲、『少女A』だけでした。伸びやかなリンちゃんの歌声が印象的な、疾走感とほんのりした憂いのあるこのロックソングは、初めて聴いてからちょくちょく聴き返していました。

 でもそれっきり、私は能動的にもたさんの曲を聴いていこうとはしなかった。1つでも好きな曲があるのから、他にも好みな曲はあるはずだと。そう信じる事すらできないまま、じつに身勝手に、さよーならしてしまったのです。

 

 ――あの訃報が届くまでは。

 

出会い直したあのときのこと

 もたさんの訃報が届き、多くのおくやみが飛び交ったとき。ファンどころかほとんど曲を聴いていなかったわたしは、しかしもたさんと交流のあったボカロPさんたちのTwitterを見て回っていた記憶があります。なんでそうしていたのかはやっぱり覚えていなかったのですが、とにかくびっくりはしていたのだと思います。だから、また曲を聴いてみようと思った。大きく報じられたことをきっかけに。人間の死を、きっかけにして。

 目の覚める思いでした。『パレットには君がいっぱい』、『シティライツ』、『それは、真昼の彗星』、ほかにも好みな曲がたくさんあった。把握はしていてももう一度踏み込もうとはしなかった領域に、素敵な世界が広がっていた。でもその世界は、これ以上作者さんの手で広がることは望めないのです。突然の訃報から2か月後、もたさんの曲にも関わっていた映像ディレクター・YumaSaitoさんの手で『ヘルシーエンド』が投稿されて聴いたとき、それを強く感じました。

澄んできらめく音と、キャッチーなメロディと、光と闇と奥行きを感じる映像と。すべてが好きだった。でも、

どうして気づけなかったの
でも

 

もう遅い
(初音ミクWikiより歌詞引用) 

 他ならぬもたさんの歌詞で刺された。本当に、こういうことです。色んな感情が混ざり込んで、あのときは聴きながら泣いてしまった。

 

3年経っても曲だけで聴けない

 それからもたさんの曲を少しずつ聴いてきています。ご自身のや未投稿曲で参加されているアルバム(特にご自身のはだいたい高騰している。iTunesだけが頼り。むり)を少しずつ買って聴いたりもしています。

 でもそうしているとき、常に頭のどこかで死を意識してしまう。歌詞と結びつけることさえよぎることもあって、そのたびに慌てて思考から振り落とす。お亡くなりになったから聴いているわけではないし、お亡くなりになったことと発表されている曲には何の関係もないのに。作者と作品は切り分けて考えるようにしたいなと常日頃から意識しているのに、もたさんに関してはそれが全然できていない。

 作者の死さえ文脈にして、それ込みで曲を好きになっていないか?たまにそう自戒します。去年の7月23日に開催されたボカロクラブイベントの0次会として、それに参加する普段twitterで交流のある方々とカラオケに行きました。その中で私は「シティライツ」を歌って。歌いながら、「自己満足じゃないか?」と自分で少し冷めた気持ちが芽生えていました。

 そんな感じで自省することはたまにあります。でも、もたさん絡みのことについて自省の方向性で強く意識し始めたのは、茄箱さんという、椎名もたさんにとても深い思い入れのある方の発言からでした。

(ツイート引用に際して、ご本人から許可をいただいています)

 

 刺さった。すごく刺さった。もしもたさんがご健在だったなら、たぶん今もこの方の曲に触れ直そうとはしないままだっただろうから。「これもひとつの出会い方だ」とは、ちょっと自分では言えないかもしれない。

 

  とっても共感しました。どうすればいいのか、わからないんです。「もっと早く出会い直していれば」とは思いますが、過去のことは今さらどうにもならないじゃないですか。それが本当につらい。

 作品やコンテンツ、あるいは誰かについて話す動機は、できるだけその人や物への「好き」という感情からにしたい。生き死になんてその対象を傷つけずに触れる事すら私にはむつかしい概念だし、ましてや何かを語る理由になんてしたくもない。でも今回の場合、もたさんの死がなかったら曲を聴いてすらいなかった。聴いてなければ、そういうきっかけがなければ、何を話すこともできないわけです。

 ジレンマに、苦しんでいます。苦しんだまま、3年が経ちました。もたさん(の享年)と同い年になったし、もうすぐ追い越してしまいます。

 私は、あなたとあなたの曲が好きです。生きておられるときに出会い直したかったし、直接好きを伝えたかった。こんな自分の個人的な感情とは別に、長生きしていただきたかった。そう思っているんだけど、もっと胸を張って言えるようになれたらいいなあ。一番伝えるべき相手はこの世におられないけれど、それでも。それでもです。